今月号のBasserに鈴木美津男さんのH-1GPXインタビュー記事が掲載されていますが、ご覧になりましたでしょうか?
関東以外のアングラーの方にはあまり馴染みがないかもしれませんが、H-1の参加者は多い時には170名を超え、2019年の延べ参加人数は300名オーバー。JBマスターズや霞ヶ浦が150名弱のエントリーのようですので、国内では琵琶湖オープンに次いで参加者が多いトーナメントと言っても過言ではないと思います。
スポット参戦期間の2012年〜2013年
私がH-1グランプリに初参戦したのは2012年の初戦である牛久沼戦でした。3日間みっちりプラクティスをしてキャッチ出来たのは試合前日にビッグバドでキロアップを1尾のみ。
勘の良い方ならお気づきでしょうが、この年の牛久沼で優勝したのはつり人社の佐々木さんで、パターンはビッグバド!
しかもプラクティスに来れない佐々木さんと前日に電話をしており、「バドでようやくバス釣った!」と話していたのでした。
試合後悔しくて仕方なかったのは言うまでもありません 笑
※ちなみに佐々木さんは私と電話をしていなくてもバドを投げる気満々だったはずです。佐々木さんとは大学時代から親しく、当時はひたすらバドを潜らせることに取り憑かれていたことを私は誰よりもよく知っています 笑
結局2012年は佐々木さんが逃げ切り年間優勝。私は環境が整わず、初戦のみのスポット参戦。
翌2013年も初戦の牛久沼のみスポット参戦しますがやはりゼロ申告。ちなみにこの試合は、80名程の参加者のうち魚をキャッチしたのはわずか3名!全員1尾のみ。牛久沼の恐ろしさを思い知ったのでした 笑
転機となったフル参戦初年度の2014年
そして来る2014年、ようやくフル参戦できる環境が整ったため、エレキをアナログのツアー52lbからデジタル82lbに買い替え、まだそこまで流行っていなかったショートマウントを導入し、気合いを入れて試合に望みました。
H-1が発足してからこの年までは環境が整わずに参戦が難しかったのですが、一方で学生時代からハードベイトの釣りにはそこそこ自信があり、歯痒い思いを晴らしてやろう、という気持ちでの参戦だった記憶があります。
レギュラー戦では特に見せ場はなかったものの、初のH-1フル参戦を年間11位で終えた私は高滝ダムで開催されるマスターズカップにクオリファイ。
高滝ダムは学生時代に通い込み、ローカルトーナメントでも2勝したことがある自分の中では割と得意なレイクでした。
そして桟橋が凍る寒さの中、11月16日に開催されたマスターズカップで優勝!
試合の翌日に今をときめくエリートプロの伊藤巧さん(同い年なのでたくちゃんと呼んでいます)から電話をいただき、ノリーズプロスタッフとしてスカウトされ、人生が大きく変わっていったのでした(良い方に変わったのかどうかはわかりませんが 笑)。
ちなみにH-1の選手がメーカーとスポンサー契約を結んだのは私が初めてだったと記憶しています。翌年以降、H-1での活躍を機にサポートを受ける選手が増えていった印象がありますが、それはつまり、H-1で活躍したルアーは動く(売れる)ことを多くのメーカーさんが感じるようになったことの裏返しでもあります。
H-1を機に流行ったルアーの代表格といえばハイパークランク(以前から一部でも知られていましたが、ブームに火がついた格好)やグリマー7、デカログ(ARC)などが挙げられると思います。
新旧問わずルアーや釣り方が深掘りされ、2014年以降も年々レベルアップしていくH-1なのでありました。
つづく!